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2009/04/22

追悼:Steve Gore Rascal Reporters Bio全訳

Row Meat(直訳で「生肉」……という名のSteve GoreとDavid Johnsonとの「ロック/ノイズ」グループ。60年代後期~70年初頭に活動)の燃えカスから、1974年にRascal Reportersは立ち上げられた。David Johnsonはハイスクール仲間であったSteve Kretzmerと交代。お互いに生活と音楽に対するよく似た趣向を持ち、作曲も演奏もでき、キーボードとドラムを演奏できた。この日から今日まで存続する完全な音楽ユニットはつくられたのだ。
2人のSteveは1958年生まれで、デトロイト郊外(イリノイ州オークパーク)で育った。2人とも左利き。1975~1976年の間に、グループは文字通り1日あたり1曲の歌を毎日書き、録音していた。リリースされていない音楽をまとめた12CDボックスセットは、これら2年の成果から多く選別されることだろう。どんな時でもどんな年でもどんなテープからでも、音楽の断片でさえ決して消さないことで有名なSteve Goreは、「RRkives」として知られる30年分の「底がない」テープの束の存在にに対して責任を負っていた。
1978年、「My Name / Ricky And His Dad」という45回転のピクチャースリーブ付きシングルで、「公表する」という最初の試みが行わるはずだった。リリースは資金提供不足のためにキャンセルされ、『Rascalities 1974-1999』という12CDボックスセットに収録される予定だが、さらに議論されているところだ。
「一般の露出」は1980年についにやって来た。カリフォルニアに拠点を置くEurockのArchie PattersonはRascal Reportersのフルレングス・カセットアルバム『Freaks Obscure』(曖昧なフリークス)をリリースした。これは「カセットでのグループによるセルフ・プロデュース・アルバム」という比較的新しい時代を歩み始めたEurockの最初期のリリースのうちの1つだった。すぐに追うような形で『We're God』(我ら神)が、Eurockカセットとして1980年にリリースされた。これら2作品のリリースは、小規模にではあるが、バンドを追い求める世界中の熱狂的ファンを確立することにつながった。人々は急速に、70年代後半の英国のプログレッシブ・ロック運動に明らかに根ざしているが、この奇妙で、奇怪で、時に猥褻(『Freaks Obscure』)なRascal Reportersの音楽をもっと聴きたいという欲求に駆られ始めた。グループは、1981年の45回転シングルと、1984年のFred FrithやTim Hodgkinsonをゲストに迎え(これは1978年にHenry Cowが解散して以来、彼らの初顔合わせとなった)、後にランドマークとなるLP『Ridin' On A Bummer』(怠け者に乗る)を発表して、その欲求に応えた。Rascal Reportersの人気はこのリリースによって一気に火がついた。
Rascal Reportersの遺産は、マスターワークとなるLP『Happy Accidents』(幸福なアクシデント)の発表により、1988年に永久に固められたと言える。彼らが愛する、そして影響を受けたミュージシャンたちが、急速に彼らの友人になり始めた。本作にはそうした誇るべきゲストが参加している。ベルギーのUnivers ZeroからGuy Segers。ニューヨークのDoctor NerveのNick Didkovsky。ほとんど第3のメンバーとして後の仕事にも幾度となく貢献することとなるThe MuffinsのDave Newhouse。本作でミュージシャンとしての最後の仕事(ギター)をこなしたキュニフォーム・レコードとWAYSIDEメールオーダー・カンパニーのCEOであるSteven Feigenbaum。5uu'sとU-TotemのメンバーであるDavid Kerman。そして、ここでリストすべき数多くのCDのゲストのドラマーであり、U-Totemの主な作曲を手がけるJames Grigsby。ベース演奏の名人にしてSteve Kretzmerの兄、20年にわたり陰日向となって第3のメンバーであり続けたPaul Kretzmer。『Happy Accidents』は飛ぶように売れ、オーディエンスの期待も高まっていった。この時点まで、すべての音楽はグループが所有するレーベル「Hebbardesque」にてリリースされた。
2人のSteveはどちらも音楽を感覚でとらえ、「(譜面で)読んだり書いたり」ができなかった。音楽はすべて、耳と「機械的な反復」の訓練によって作曲されている。両ミュージシャンがキーボードとドラム(ドラム演奏の比重の高いのはGore、キーボード演奏の比重の高いのはKretzmer)を演奏し、作曲するのは、奇妙な偶然の一致である。グループのもうひとつ特に変わった手法は、大部分の音楽は完全に作曲されたもので、いつでも2人のメンバーのうちの1人だけによって演奏されているというこの事実だ。基本的に、ふたつの「ワンマン・バンド」が共に仕事をし、異なる個性をもった2人のミュージシャンが構成するユニークな「4人組バンド」を形成していながら、賞賛される作曲スタイルになる……。ゲストを招いて彼らとレコーディングするのは困難であろう。音楽はとても複雑であって、ゲストはRascal Reportersの「書き」上げ方を知らずに、その音楽に「到達する」ことを必要とされている。最善のシナリオは、楽譜を読めて、さらに「耳」で判断して演奏できるゲスト・ミュージシャンを含むことだ。
1,200曲以上の完成したRascal Reportersの楽曲が「RRkives」テープにはあると推測されている。それらが絶え間なく続く音楽の発展というコンセプトに捧げられるのであれば、グループが決してするべきことでない何かしら、アーカイブのリリースを厳密に依頼し、バンドの引退を許可することだろう。Rascal Reportersのユニークな特徴は、それらがほとんどすべての音楽ジャンルで構成されていることにある。プログレッシブ、ポップ、クリスチャン・ポップ、ジャズ、キャバレー、テクノ/ダンス、ロック等。彼らは、あなたが彼らにそうであることを望むのと同じくらい単純であるか、あなたが彼らを好きだったのと同じくらい複雑なものだ。
記録として、Rascal Reportersに音楽的影響を及ぼした主なものは以下の通り。
The Beatles、Frank Zappa、Gentle Giant、Egg、Hatfield and the North(と、その分派)、Henry Cow、Soft Machine、The Residents、Gryphon、The Enid、Stackridge、Univers Zero、Art Zoyd、Tipographica、The Muffins、Burt Bacharach、Bela Bartok、The Archies、PFM、Van Dyke Parks、Brian Wilson、Judy Collins、U-Totem、Bread、The Regeneration、Herman Szobel、Krzysztof Komeda、Genesis、Magma等。

Steve Gore

彼らの公式サイトからの全訳である。Rascal Reportersの特殊性が何となく見て取っていただけるんじゃないかと思う。
Steve Goreは2009年3月14日、地下室での作業中に何らかのアクシデントによって事故死したということのようだ。享年51歳。死の4日前のブログには、配信のみという形でリリースされた最新アルバム『The Mind Boggles』を大幅に変更し、CDとして発売する予定があることを意気揚々と書き込んである。あまりにも唐突に別れの日が来てしまった感じだ。ということで、次回こそ『The Mind Boggles』感想文。それまで皆さんは彼らのもうひとつの公式サイトで代表曲やレア音源を試聴して、追悼してみてほしい。気に入ったら、CDを購入したり、サイトにあるドネーションとかに協力したらいいんじゃないかと思う。

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